HERE COMES THE SUN

太平洋の南の島マーシャル諸島からの日記です

アメリカへ行くマーシャル人

空港

ハルカの親友のマーシャル人ジュスリンが、5月にアメリカへ引越して行った。彼女はアメリカで生まれて、1歳からマーシャルに来て、それ以来ずっとお母さんと離れ、おばあちゃんの元で育てられていた。私はそのおばあちゃんとママ友のような関係で知り合いなのだけれど、お父さんが日本人で日本人の血が流れているおばあちゃんは、まさにスーパーおばあちゃん。賢くて働き者なので、おばあちゃんなんだけど現役のフライトアテンダント。バリバリ仕事して家計を支え、お母さん代わりに孫たちのお世話も、家事全般も料理もして、車の運転もおばあちゃんがこなす。さらに車が壊れたら、修理もおばあちゃんがする。本当にすごい。おばあちゃん、お母さん、お父さん、の一人三役、という感じ。海外でキャリアを積む娘たちの2人の子どものお世話をマーシャルでしていたのだけれど、体調を崩してしまったので、ジュスリンのお母さん(おばあちゃんの娘)が、アメリカで我が子と姪の2人をしばらく引き受けることにしたそうだ。
アメリカへ出発する日、ハルカと一緒に空港へ見送りに行った。おばあちゃんは、赤ちゃんの頃からずっと我が子のように育ててきた孫をアメリカに行かせたくなかったらしい。そりゃ寂しいよね...。でもジュスリンは、アメリカに行ける!飛行機に乗れる!とウキウキ気分で、空港でもいつものようにおばあちゃんにアイスを買ってくれとねだる始末。おばあちゃんの心、孫知らず…。もう飛行機の時間になっていよいよお別れというときに、もう一人の3才の孫が「おばあちゃんは一緒に来ないの?」と言い出して、来ないとわかると「おばあちゃーん!」と叫んで号泣し、泣きながら手荷物検査のほうへ入っていたときには、見送りに来ていた全員が涙。
その後、孫二人はオクラホマの田舎町で楽しく暮らして学校にも通っているけれど、マーシャルに帰りたいと言っているそうだ。アメリカに住んでるマーシャル人は、国の人口に対して結構多い。というもの、アメリカとマーシャルは1986年に二国間で結ばれた自由連合協定(コンパクト)により、マーシャルのパスポートを持っていればビザなしで、アメリカに暮せるし、働けるからだ。アメリカに住むマーシャル人は約22,000人。それに対し、マーシャル国内の人口は約60,000人。2015年に行われた国会議員選挙では、アメリカに住むマーシャル人の在外投票を認めたところ、アメリカからの票が大いに影響し、番狂わせが多く起こった。そのため、次の選挙からは在外投票は認めないという法律が作られた。
アメリカにはマーシャル人が集まって住んでいる街がいくつかあり、アーカンソー州のスプリングデール、ハワイ州ワシントン州のスポケーンカリフォルニア州のコスタメサ、グアム準州オクラホマ州ブロークンアローなどが代表的な場所。親戚が住んでいる場所に転がり込むように片道切符で行けば、とりあえず寝場所はあるし、子どもの学校も、マーシャルよりいい給料の仕事もある。多くのマーシャル人が暮らすアーカンソー州のスプリングデールには大規模な鶏肉工場があり、マーシャル人でも行けばすぐに、マーシャルの最低賃金の2.5倍で雇ってもらえるという。また仕事だけでなく、教育と医療もマーシャル人にとってアメリカ移住の目的となる項目だ。子どもの教育に関しては、アメリカへ行けば公立校へ無料で通えるので目的は果たせるが、医療となるとマーシャル人はビザなしで暮らせるけれどアメリカ国民ではないので、基本的には生活保障は受けられず、医療費も支払えないのであればアメリカの医療を受けることができない。これは州によって、医療のサポート事情は異なるようだ。また、英語が全く話せないと、車の免許を取ることも難しいし、車がなくて通勤できないと仕事を得るのも難しくなる。甘い考えで行くと厳しい現実に直面することになるのだろうが、アメリカでもマーシャル人の住む土地にはマーシャル人の教会があり、そのコミュニティでいろいろ情報を得たりサポートしてもらえるようだ。
マーシャル育ちのジュスリンがアメリカ生活を経験してまた帰ってきた時、どう成長しているのだろうか。今から会うのが楽しみだ。

↓見送りの人々で混み合う空港