卒業の学年
ハルが12年生で高校卒業の年なので、クラスでは卒業式に向けての準備をしている。私はPTAクラス役員をしているので、すごく大変である。何が大変かというと、一つ目の大変は、卒業式やそれに関連した経費すべて(衣装・会場セッティングや装飾・ポスター印刷など)、卒業式後のパーティやキャンプ、卒業前の4月に開催されるプロムパーティーの予算を、すべて自分たちの募金活動で資金調達をしないといけないこと。その目標額は、15000ドル(日本円で228万円)。これは12年生の1年間だけで集めるのでははく、このクラスが中学生ぐらいから少しずつクッキーを売ったり、洗車したりして稼いできたクラス基金を学年が上がるごとに持ち越して、12年生の卒業式で使う。昨年の11年生のときに募金活動を頑張ったので、12年生が始まった時点で7000ドル程あった。そこからベイクセールス2回、洗車&ケーキ販売、ハロウィンのフードセールスなど秋の募金活動だけで3240ドルを稼ぎ、残りは生徒一人あたり300ドルを親が寄付する、ということで12月に目標の15000ドルを達成した。
日本だとこのような学校行事に必要な費用は、生徒から集金するのが普通だけれど、マーシャルの学校では生徒からの集金ではなく募金活動で集めるが普通。昨年の卒業生たちはもちろん、代々そうやって卒業費用を調達し、最後にどうしても足りないときだけ親から集めていたので、ハルのクラスは珍しいと思う。お金がない子もいるし、生徒が自分たちで働いて資金を集めるのがよいこと、とされている。12年生最初の保護者会で、今後の募金活動について話し合ったときに、半数の親たちの正直な意見として募金活動は親子共に負担があり大変だから、無理のない範囲で平等に集金して予算を確保しよう、ということになった。募金活動は、積極的に協力する親と全く手伝わない親とがいるので、そのモヤモヤも集金することで平等に解決する。ここに至るまでも全員の保護者からの同意を得て、その後の実際の集金では、現金で一括で払ってくれるとありがたいけど、分割払いの人、オンラインバンキングから入金したいという人、3,4回催促しないと払わない人がいて、いろいろあったけれど、これはもう完了!
二つ目の大変は、プロム、卒業式、卒業式後のパーティー、卒業キャンプの手配をすべて親がしないといけないこと。各所に見積りをもらい、クラスの承諾を得てから会場など予約する。プロムパーティーは、学校に体育館がないので、ホテルの宴会場を貸切、装飾は業者に頼み、DJやフォトグラファーを確保し、食べ物もオーダーする。これらはいま準備している最中。募金活動が既に終了しているのが、本当によかった。普通は卒業式直前まで募金活動も計画・実行し続けないといけないから。

先日は、卒業式に使うクラス写真と個人写真の撮影を行った。卒業式の日に、巨大ポスターでクラス写真を印刷して飾り、個人写真も一人ずつ大きなポスターを印刷し、立て看板を作る。卒業アルバムは、習慣がないようで作らない。マーシャルにはカラー印刷して立派に製本できる業者がないからだと思う。ただの写真撮影だけど、これもすべて親が手配するので、イチからみんなの意見を聞いて決めないといけない。写真家選びから意見が分かれ、日程決め、撮影衣装、撮影場所も生徒や親で意見が分かれ、ひと騒ぎだった。毎年この写真家に頼んでいて、学校に来て撮影しますよ、とか決まっていたらいいのに、そうではない。また日本だと手伝わない人は遠慮して「おまかせします」と言う人がいるかもしれないけれど、こちらは手伝わない親でも自分の意見は強く主張してくるので、そのあたりは文化の違いを感じる。また全員の前で意見を言わないのに、実はこうしたかったのに、とか聞いてないとか、フェアじゃないとか、後から文句を言ってくるタイプの人たちもいるので、その手の人には個別メッセージで細やかに対応している。ね、大変そうでしょ!?
写真撮影当日は、来ると言っていた担任の先生が連絡なしのドタキャン、生徒の送迎に使う予定だったスクールバスを他の先生が使っていて時間になっても学校にバスを返してくれない、などトラブルはあったけれど、その程度で済み、撮影は無事に終わった。
まだまだ卒業まで準備が忙しくなりそうだけれど、この大変なPTAの仕事を通して他のアクティブな親たちと絆が深まって仲良くなれたり、人脈も広がり、自分も成長するというメリットがあるので、卒業まで他の親たちと協力して乗り越えていきたいと思う。

海辺でのんびり時間
日本で過ごした夏休みを終えて、8月上旬にマーシャルへ戻ってきた。日本ではいろいろと家族の用事があり、毎日何かしら予定が入っていて、マーシャルへ帰る直前まで慌ただしく過ごした。マーシャルの家に戻ってくると、それはそれでまた家の掃除や片付けなどが待っていて、家族の生活基盤を整えるのにバタバタと過ごす。田舎の家だからクモ・白アリ・ヤモリたちと共に暮らしているので、2カ月間留守にしただけで、家の中が1年以上空き家にしていたかのように荒れる。まあ、いつものことだけど。
さらに週末に、急にコウがクラスの友達のお泊り誕生日キャンプに土日で呼ばれた。行く!返事をしたあと、別の友達から日曜の誕生日会に呼ばれた。まさかの誕生日会の予定かぶり。「どうしよう。二人とも大事な友達だから、どちらかを選ぶなんてできないよ。行かないと言ってがっかりさせたくない。」と言って頭を抱えるコウ。じゃあ、誕生日キャンプを泊まらずに日帰り参加すれば、翌日もう一人の誕生日会に行けるんじゃない?と私が提案すると、それはいい!と言って土曜は日帰りにすることにした。誕生日キャンプはエネコ島に行くので、コウ一人の日帰りのために大人にボートで送ってもらうのは申し訳ないと思い、私も付き添いで一緒に参加することにした。そうすれば、私が島からコウを連れて帰れる。

前夜に急に行くことが決まったエネコ島。何度も行っている島なので勝手もわかっていて気楽に行けるのだけど、今回は招待してもらった側で、私とコウの二人だけで、より心も荷物も身軽に参加。持ち物は、一応持ち寄りの一品でミニパンを前夜に焼き、ちょっとした誕生日プレゼントも用意。当日は水筒を準備するだけ。なんてラク!
集合時間の10時にRREの港へ行くと、10時の船は他の団体客で満員になったから私たちは11時に出発だよと言われた。今回招待してくれた誕生日の子のおばあちゃん、ローズさんに、レストランで朝ご飯でも食べて待ちましょうと言われて、みんなでタイドテーブルへ。コウを除く子供たちは前日から家でお泊り会していて、今夜は島でお泊り。まだ朝ごはんも食べていないらしい。スリープオーバーからの島キャンプなんて、準備が大変!でもかわいい子の誕生日ためにすべてを引き受けて実行するローズさんはすごいと思った。
レストランで子供たちは子供のテーブルで、私はローズさんと一緒にお茶をした。ローズさんは話好きな方で、いつもマーシャルの様々なことを私に教えるように話してくれる。興味深い話を聞いているうちにあっという間に1時間が経ち、ボートに乗る時間になった。

エネコに着くと、宿泊のバンガローエリアのほうに陣取り、それから一日ゆったりと過ごした。先客で前夜から島に泊まっていた家族連れがいて、それが偶然同じクラスのKくん家族だった。子供たちは遊び仲間が一人増えて、ワイワイとずっと海で遊んでいた。私はローズさんとKくんママと海辺でおしゃべり。Kくんママは島にキャンプに来ているわりに、Tシャツや短パンでなくブラウスとスカートで、なんだかカッチリした服装してるなあと思ったら、「私、金曜日の仕事帰りにそのまま直接ボートに乗って島に来たの」とのこと。着の身着のまま、というやつ。パパと息子たちにキャンプの荷造りを任せたら、着替えを持ってきてくれなかったので「昨日からこの服しかないのよ~。着替えたくて一度洗濯して干して、すぐ乾いたからまた着たのよ」と言っていた。息子たち、ギターは持ってきたが、着替えは持たず。ママは大変だ。でも仕事帰りにエネコに来れてしまうところが、私より気軽度が高くて羨ましい。
木陰にいると涼しく、キラキラと輝くエメラルドブルーの海と子供たちを横目で見ながら、ずっとローズさんのいろんな話を聞いたり、シュノーケルもせず、何もすることなくひたすらゆったりと過ごしていると、途中から完全に時間の流れが変わって、心からのんびりし、リフレッシュできた。招待してもらえて感謝。他に一緒に来ている親はいなかったので、ローズさんに気を遣わせてしまったのが申し訳なかったけど、たくさん面白い話を聞けて楽しかった。コウに付いて来てよかった、と思える満足のエネコだった。また何もせずのんびり過ごすために行きたいと思う。

サッポロイチバンよりおいしいラーメン
マーシャルではラーメンが老若男女問わず人気で、アメリカのサッポロイチバンラーメンがマーシャル人の食生活にすっかり定着している。安くてすぐ食べられるのがいいのだと思う。朝・昼・夜、いつでも食べている。ほとんどのマーシャル人は、袋に直接お湯を注ぎ、スープがこぼれないように器用に持ちつつ、フォークで袋から直接食べる。
アメリカのサッポロイチバンラーメンは、日本で販売されている袋ラーメンとは質も味も別物。添付のラーメンスープの味が薄く物足りないので、ケチャップやタバスコを追加でドバドバとラーメンに入れて食べるのが、マーシャル流。レストランやカフェでもマーシャルでは必ずラーメンがメニューにある。みんなが食べたがるのだと思う。レストランではサッポロイチバンにチキンや野菜を入れて、鍋で調理したものを出してくれる。

サッポロイチバンは子供がスナック代わりに、ラーメンの麺を砕いてそのままボリボリと食べていることもある。砕いた麺にクールエイドという添加物たっぷりなジュースの粉をふりかけて食べたり。絶対美味しくないだろうと思うけど、子供たちは「おいしい、おいしい」と食べている。よほどお腹がすいているのかな。
先日コウが家にクラスの男子二人を連れてきて遊んだときに、ランチを出すことになった。コウが「みんなが学校で、サッポロイチバンラーメンはすごくおいしい。ベストラーメンだって言ってた。だから今日は日本のラーメンを食べさせたいから作って!」とリクエストしてきたので、日本の袋ラーメンで味噌ラーメンを作って出した。


日本のラーメンだよ、と出すと恐る恐る食べ始め、すぐにニコリ。おいしいと言って完食した。「サッポロイチバンと全然違うな。」と言っていたそうで、期待した通りの反応が返ってきて、コウも満足していた。
誕生日会は無人島でキャンプ
夏休み明け、コウの幼馴染で親友の子から誕生日会に誘われた。それが無人島一泊キャンプのお泊り誕生日会。コウは自宅が一番が好きというタイプなので、参加するかな?と私は思ったけれど、「親友の誕生日会だから、これは必ず行かないと。友情を示さないといけない。」と言って、出かけて行った。熱い友情だね。
当日、指定された時間に港に行くと親友の子とその親戚が既に集まっていた。招待されたクラスの男子も数名いて、子供は7人、大人が10人以上。親友の子とは小さい頃から同じクラスで友達なので、お互い家族ぐるみで知っている家族。泊りで大丈夫かしらと心配する私の気持ちを見越したのか、「子供たちをちゃんと見れるように大人を多くしたから、大丈夫。安全には気を付けるから。きっと明日、コウはまだ帰りたくないと言って戻ってくるわよ!あっはっは!」とおばあちゃんに言われた。みんなボートに乗って、島に向けて出発。私は港で見送り。

コウによると、島は親友の子の親族が所有する島で、2階建ての建物が1軒あり、雨が降ったら避難できるし、夜はその建物のベランダでマットレスを敷いて寝たとのこと。風がずっとビュービュー吹いていて、暑くなく、夜は風の音がうるさいぐらい。2日間ずっと海で遊んでいたそうだ。海で泳いだり、カヤックに乗ったり、ヤドカリを割って中身をエサにして釣りをしたり、夜はキャンプファイヤーもした。翌日の夜にコウが家に帰ってきたときは、これまでで一番日焼けした状態で真っ黒に。2日間海で遊んで、日焼け止めの塗り直しをしなかったらしい。さすがに疲れたのか、ヘロヘロで帰ってきて、ご飯を食べてすぐ寝てしまった。楽しい思い出となった誕生日会だった。


マーシャルの高校生、アメリカへ行く2~ワシントンDCとニューヨーク
マーシャルを出発して2日がかりで、ようやくワシントンDCに到着。そこからCLOSE-UPワシントンDCのプログラムに参加。ここで他の国やアメリカ本土からの参加者と合流し、8日間をワシントンDCで過ごした。

マーシャルの他に、パラオ・ミクロネシア・北マリアナ諸島・グアム・アメリカンサモアというアメリカと親密な国の高校生と、カリフォルニア・ミシガン・テキサス・ワイオミング・ワシントンからの高校生が集まった。招待で来た海外の生徒たちは、その国の高校生代表で選ばれた優秀な生徒たちばかりで、王族の家系とか、伝統的首長の家系という子もいたそうだ。ハルは新しい友達を作って交流するのが好きなタイプなので、他の太平洋の島の生徒とおしゃべりして仲良くなり、マーシャルと他の地域の太平洋の島国の違いを知れて楽しかったようだ。
特に仲良くなったパラオの首長家系の女の子は、パラオでは身分が高い家系なので、まとめ髪のお団子を常に高くしないといけないそうだ。身分が高い人は髪のお団子も高く、庶民は低いお団子にするらしい。だからパラオでは低いお団子にできないの、今はアメリカにいるから低いお団子にしてるけどね、と言っていたそうだ。
アメリカ本土の生徒は、参加費を払って参加しているので、親が申し込んだから参加している子や、自分から興味を持って参加した子など様々だったそうだ。政治に興味を持っているという生徒もいたとのこと。ワークショップのグループワークなどを通じで、アメリカ本土の高校生とも交流できたそうだ。

ハルがアメリカだなーと思ったのが、性別について、とても自由だったのに驚いたそう。heとshe、そのどちらでもなければthey/themで、プログラムの運営スタッフの中にもthey/themの人が何人もいて、首から下げるネームカードに普通に書いてあったそう。そしてみんな隠すことも気にすることもなくオープンに私はthey/themです、と言っていたのが新鮮だったとのこと。
ワシントン市内はたくさんの博物館、記念碑、美術館があり、アメリカの歴史を知ることができる施設が充実。ホワイトハウスや在ワシントン・マーシャル大使館を訪問し、大リーグの試合も観に行った。ワシントンで行った場所は、スミソニアン国立航空宇宙博物館、ワシントンDC国立動物園、アメリカ国立公文書記録管理局、チャイナタウン、ホロコースト記念博物館、ジェファーソン記念館、フランクリン・ルーズベルト記念公園、海兵隊戦争記念碑、第二次世界大戦記念碑、リンカーン記念堂、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑、連邦議事堂、ナショナル・モール、国立アメリカ空軍博物館、アイゼンハワー記念館、ホワイトハウス、ブラック・ライヴス・マター・プラザ、アーリントン墓地、と盛りだくさん。昼間はそういう場所を見学にまわり、早めの夕飯のあと、夜はホテルに戻り、毎晩ワークショップ。各国の生徒による国紹介パネル展示や、出し物を披露するインターナショナルナイトが行われた日もあった。ワークショップの内容は、自分の国がいま抱える問題と解決策、保守主義と自由主義、ホームレス、環境問題、銃暴力、など。インターナショナルナイトでは、ハルもマーシャル代表団の一員として、お揃いのドレスにアミモノを身に着けてビートダンスを踊ったらしい。マーシャルチームのダンスは会場を盛り上げて好評だったと、満足げに話していた。
ワシントンDCのあとは、アレクサンドリア・オールドタウン、コロニアル・ウィリアムズバーグ野外博物館、フィラデルフィアの米国憲法センターを訪問。そのあと3日間はニューヨークへ。ニューヨークではずっと観光で、自然史博物館、メトロポリタン美術館、セントラルパーク、ロックフェラープラザ、マンハッタン・バッテリーパーク、自由の女神、ウォール街、タイムズスクエアに行き、最後にブロードウェイミュージカルのウィキッドを観劇。


帰りは、マーシャル組はニューヨークーハワイ路線に乗って10時間かけてハワイまできた。そのあとマーシャル行のアイランドホッパーが2日連続でキャンセルになり、結局ハワイに3泊して帰ってきた。ハワイで、マーシャル組メンバーは、みんなとお別れが寂しいよ、帰りたくないーと旅を名残惜しんでいたそうだ。アメリカで新しい刺激を受け、貴重な経験をたくさんでき、充実したプログラムに参加させてもらえて感謝している。きっとハルの一生の思い出に残る夏になったと思う。

マーシャルの高校生、アメリカへ行く1
ハルはこの夏、CLOSE-UP ワシントンDCというアメリカのプログラムに、マーシャル高校生代表団の一人として参加した。これはアメリカ各州の高校生がアメリカの中心部ワシントンDCに来てアメリカの過去と現在を学び、民主主義への積極的な参加者となるよう導くように設計されたプログラムだそう。このプログラムはCLOSE-UP財団が1971年から運営しており、現在まで累計約85万人が参加している。1980年代からマーシャル諸島の高校生もUS DOI(米国内務省島嶼問題局)から助成金を受け、航空券・宿泊代・参加費をすべて援助してもらい、マーシャルの各高校から1名ずつ参加しているとのこと。マーシャルの生徒はワシントンDCに8日間滞在したあと、ウィリアムバーグ1日、ニューヨーク3日間という内容。
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マーシャル高校生代表団は、マジュロ・イバイ・ジャルート・ウォッチェの各高校から一名ずつ校長推薦で選ばれた生徒が参加、高校生17名、引率の先生3名の合計20名。ハル以外は全員マーシャル人生徒だった。生徒の中には今回が初めての海外という生徒もいた。
出発の一週間前に、マーシャル教育省にて参加する生徒と保護者が集められ、説明会があった。そこで急に滞在中に開催されるインターナショナルナイトで披露するダンスの為にみんなでおそろい生地でドレスを作るから、出発までに各自で作っておくように言われた。私は焦ってマジュロの仕立て屋さんを回り、4軒目で間に合うように作ってくれる店をみつけた。
保護者のお父さんが海外を知らない子供たちを心配し、島から出たらこういう世界なんだぞ、と真面目に教えてくれた。お父さんいわく、「島からでたら人がいっぱいいるんだ。マーシャルとは人の数が大違いなんだ。ぼんやりしていたら、アメリカの空港ですぐグループとはぐれて迷子になってしまうぞ。迷子にならないように気を付けろ。うーん、やっぱり心配だから、みんなにお揃いのTシャツを着せよう。そうすれば空港ではぐれても、すぐ自分の集団がどこにいるかわかるから安心だ。」ということで、出発1週間前にお揃いのTシャツも用意することになった。

マーシャルからワシントンDCへ行くには、マジュロ→ホノルル(5時間)、ホノルル→サンフランシスコ(5時間半)、サンフランシスコ→ワシントンDC(5時間)というハワイ・サンフランシスコ経由の乗り継ぎの多い長旅。最初の経由地ホノルルに着くのが深夜午前3時。次の飛行機に乗るまでハワイで5-6時間待たなければいけない。保護者からは、どこかホテルで少しでも休憩させられないか?と意見が出たけれど、予算がないのでできなかった。その代わりに、ハルによるとホノルルに深夜3時に着くと、誰かの車に乗ってみんなで空港近くのマクドナルドに連れていってもらえたそうだ。マクドナルドは閉まっていたけれど、外にベンチがあってマックのWiFiが使えるので開店までマックの前で過ごし、店が開いたらみんなで店内に押しかけて朝ごはんをゆっくり食べて過ごしたそうだ。ハワイのマックには”アイランド ブレックファスト”というメニューがあって、卵・スパム・ご飯のセットだそうで、みんなはそれを食べていたとのこと。いきなり野宿体験みたいになって大丈夫かなと思ったけれど、その後はずっとちゃんとしたグレードのよいホテルに宿泊だったそうだ。
2023年の夏休み、4年ぶりに小学校に体験入学
マーシャルの学校は6月から8月上旬まで夏休み。6月は家族に各自の予定があったため、私とコウは日本、ハルはアメリカ、介はマーシャルと、家族が遠く3カ所に離れた時期もあったけれど、7月は家族そろって日本で過ごすことができた。一時帰国で日本の家族との時間もあったし、旅行にも行った。コロナ以降数年ぶりに友人たちにも会えた。今回時間が間に合わず、会えなかった友人にはぜひ来年会いたいと思う。

コウは4年ぶりに日本の小学校に3週間ほど体験入学をした。1年生の夏に少し通って以来だったので、学校へ行く前は少し不安そうにしていたが、クラスにコウを覚えていてくれた子が結構いて、担任の先生の優しいご配慮もあり、すぐクラスに慣れることができたようだ。初日から元気に友達と一緒に下校してきて、放課後はさっそく家に友達がきて一緒にゲームで遊んでいた。ゲームの話が通じる友達ができて、おしゃべりできたのが楽しかった様子。
日本の勉強は、この4年間マーシャルで進研ゼミしかやっていなかったけれど、授業についていけず困るようなことはなかったようだ。漢字テストができないのは仕方ないとして、本人によるとわりと大丈夫だったそう。これは毎月最後までテキスト終わらせてきた進研ゼミのおかげ!
マーシャルの学校にはない家庭科と書道も初めて体験した。家庭科は裁縫だった。裁縫も初めてなので、授業前日に家で、糸通し&玉結び・玉止めだけ教えて、練習してから行った。日本の給食がすごくおいしかったとのこと。クラスの子が給食まずいと言っていたので、本当にまずい給食はこんなものではない、マーシャルの給食に比べたらすごくおいしいよ!と話したらしい。
最終日はクラスでお別れ会をしてくれた。クラスメイトからお手紙をもらい、仲良くなれた子たちとお別れが寂しく、涙もろいコウはみんなの前で号泣してしまった。そのため最後の挨拶が泣きじゃくって話せなくて、代わりに黒板にチョークで「三週間ありがとう」と書いたそうだ。たくさんの日本での貴重な経験ができた体験入学だった。

