HERE COMES THE SUN

太平洋の南の島マーシャル諸島からの日記です

2017冬休み〜5年ぶりの冬!

この冬は学校が休みに入ってすぐ日本へ一時帰国した。毎年、日本へ帰るのは夏休みの1回だけなので、冬に帰るのは5年ぶり。コウは物心ついてから初めての冬体験となった。今回冬に帰ったのは、マーシャルの学校のハルカの同級生親子が日本に遊びに来るため。特にお友達のママにはいつもマーシャルでお世話になっているので、一緒に案内がてら観光することにしたのだ。約10日間という短い帰国だったけれど、スキー、温泉、富士山、東京、と盛りだくさんのスケジュールを、無事だれも風邪をひくことなくみんなでこなしてきた。
それにしても、12月の日本は寒かった。マーシャルに暮らしていると一年中気温30℃以上なので、たまに雨で気温が27℃ぐらいの日があるだけで、なんだか涼しい(むしろ寒い)という感覚になってしまう。そんな私たちが真夏からいきなり真冬へ。秋の存在の大切さを身に染みて感じた。徐々に季節が移り変わって、寒くなっていくのは大事...。
友達が初めての日本で一番良かったことは、富士山が間近に見える河口湖に行ったことだそうだ。富士山の迫力と美しさは、誰をも魅了する。東京に滞在するだけだと、日本の自然や田舎の良さを感じることはできないので、連れて行ってあげて良かったと思った。今回、マーシャルから来た友達を案内して良かったことは、自分たちだけで一時帰国していたら、きっと行かなかったような場所にも行く機会ができたこと。忙しかったけれど、日本の冬らしい充実した体験がいろいろとできて、とても楽しかった。

↓帰国時、飛行機が成田上空に来ると、とても感慨深い

↓富士山

コウの誕生日会

誕生日会

今年のコウの誕生日は、幼稚園の教室で誕生日パーティーをした。事前に先生に誕生日パーティーをしたい旨を伝えると、授業時間内でパーティーの時間を作ってくれるので、親がケーキやピザなどを持ち込んでパーティーを開催できる。ハルカのときもそうだったけれど、3−4歳のプリスクールと5歳のキンダーの頃は、教室で誕生日会をする子が多く、毎月のように学校でピザとケーキを食べてくる。学年が上がるにつれて誕生日会をする子は減り、いま5年生のハルカの年になると1年間に2人ぐらいしか誕生日会をしない。
コウのクラスには、偶然コウと同じ誕生日のネイヤちゃんがいる。昨年は、まだコウが幼稚園に慣れていなかったので、ウチは特に誕生日パーティーはやらなかったのだが、同じ誕生日のネイヤちゃんはパーティーを開催。コウは昨年は「ボクも誕生日なんだよ!」と先生にアピールして、ネイヤちゃんに便乗して一緒にお祝いをしてもらったらしい。今年も便乗するわけにもいかないし、コウが自分の誕生日会をしたいと言うので、ネイヤちゃんと一緒にパーティーをすることにした。ネイヤちゃんのママと、パーティー準備の分担をするために話し合わないといけないのだが、面識がなくて連絡先もわからない。ハルカのクラスはさすがに顔見知りの親御さんが多いのだが、コウのクラスはまだ5人ぐらいしか顔見知りの保護者がいない。というのも、日本と違ってPTAの保護者会では全校で集まるから、クラス単位で親御さんたちと顔を合わせる機会がないし、名簿も配られないので同級生の名前すら子どもから聞く以外に知るすべがない。先生にネイヤちゃんママのメールアドレスを教えてほしいと伝えたが、先生から返事もない。困ったなと思っていたら、ネイヤちゃんのパパが会社に来て、介と誕生日の相談をしてくれた。会ったことがないので全然知らないと思っていたネイヤちゃんの両親は、会社のお客さんで、ママは従業員のひとりと親戚だった。知らないと思ってたのは私だけで、向こうは知っていたみたい。マジュロという小さい島に住んでいると、なにかと知り合いですぐ繋がったりして、世間の狭さを実感する。
誕生日当日、決められた時間に教室へ行くと机の配置が既にお誕生日会用にしてあって、準備万端。私はテイクアウトしてきたピザを30人前と紙皿などを用意。ネイヤちゃんママがケーキとアイスクリームなどを用意した。ネイヤちゃんママとはこの日初めて会って話をしたけれど、英語もペラペラなマーシャル人キャリアウーマンというタイプの人で、とても親切でいい人だった。コウとネイヤちゃんのニコニコ笑顔がかわいくて、私は写真を撮りまくり。みんなに誕生日の歌を歌ってもらい、私までとても幸せな気持ちになった。教室を準備してパーティーの進行をしてくださった先生と、一緒に誕生日パーティーをしてくれたネイヤちゃんママに感謝したい。

クルマの話

クルマ

ここ最近、我が家の車にガタがきていて、あちこち故障が増えてしまった。だからまだ動いて売れるうちに、新しい車に乗り替えることにした。マーシャルで車に乗っていると、車が傷むのが本当に早い。潮風でサビが発生してしまうのと、日本のような厳しい車検もないのでメンテナンス不足、というのが主な理由だと思う。いま乗っているパジェロ・イオは車高がやや高くて小回りもきいて運転しやすく、とても気に入っていた。マーシャルの道路では、木から落ちたココナッツが転がっていたり、スコールのあと大きな水たまりができていたり、道路が冠水していたり、ということがよくある。そんな時も、車高が高いと安心して走行できる。子供たちの学校へ迎えに行かないといけないので、毎日少なくとも40分は運転する。車は私の生活に欠かせなくなってる。
この前は運転席側のドアが、サビで部品が外れて開かなくなってしまった。修理に出すと2、3日車を預けることになるのだが、ちょうど車が必要な週だったのですぐ修理に出さず、しばらくは運転席から後部座席に身を縮めてなんとか移動し、後部ドアから乗り降りする、という不便な状態だった。毎回エクササイズだと思って我慢した。その後、修理に出して運転席側ドアは直してもらったが、今度は助手席側のドアが、部品がサビてダメになり開かなくなってしまった。
あとは、ここ1か月以上エアコンが壊れている。これもサビで穴があいているそうだ。エアコンの部品を交換しないと直せないので、日本から部品取り寄せで1か月待ち。常夏でエアコンが効かないのは結構きつい。昼間、窓を開けて走っても車内温度が軽く40℃を超えてしまう。学校のお迎えに行く午後3時頃は一番暑い時間帯なのだ。最初の頃は車内が暑すぎて、外に出た方が涼しいぐらいなので「なんでこんなに暑いの!」とイライラしてた。あまりに暑いので一体何度あるのだろうかと、車内に温度計を置いて温度を測りだしたら、こうすれば気温が下がるとか、こうしたら暑い等、理科の観察みたいになってきて、気がつけばイライラしなくなっていた。ストレスの矛先をちょっと変えてみると、思いのほか効果があるものだ。
今はその観察結果による対処法でなんとかやっている。車を炎天下に置いて車内が高温になると(45〜50℃)、エアコンなしで窓を開けて走っても下がる温度はせいぜい3〜5℃なので、たいして涼しくはならない。エアコンが効かない車は、最初から炎天下に駐車しないのが一番効果的。真夏にエアコンが壊れたけど、すぐに修理できない方はぜひ以下の対処法をお試しください!

<真夏にエアコンが壊れた車に乗るコツ>
1.日陰に駐車して、車の窓を数センチでも開けておく。そうすると車内温度が外の温度と同じくらいにキープされるので、それほど暑さを感じなくて済む。熱くなった車でも、日陰に移動させて窓を開けて1時間置いておくだけで温度は下がり涼しくなる。
2.炎天下に駐車して車が熱くなっていたら、フロントガラスとボンネットに水をかける。水の気化熱効果ですこし涼しくなるような気がする。
3.氷の入った冷たい水筒を用意して、冷たい飲み物をこまめに飲んで体を冷やす。

アメリカへ行くマーシャル人

空港

ハルカの親友のマーシャル人ジュスリンが、5月にアメリカへ引越して行った。彼女はアメリカで生まれて、1歳からマーシャルに来て、それ以来ずっとお母さんと離れ、おばあちゃんの元で育てられていた。私はそのおばあちゃんとママ友のような関係で知り合いなのだけれど、お父さんが日本人で日本人の血が流れているおばあちゃんは、まさにスーパーおばあちゃん。賢くて働き者なので、おばあちゃんなんだけど現役のフライトアテンダント。バリバリ仕事して家計を支え、お母さん代わりに孫たちのお世話も、家事全般も料理もして、車の運転もおばあちゃんがこなす。さらに車が壊れたら、修理もおばあちゃんがする。本当にすごい。おばあちゃん、お母さん、お父さん、の一人三役、という感じ。海外でキャリアを積む娘たちの2人の子どものお世話をマーシャルでしていたのだけれど、体調を崩してしまったので、ジュスリンのお母さん(おばあちゃんの娘)が、アメリカで我が子と姪の2人をしばらく引き受けることにしたそうだ。
アメリカへ出発する日、ハルカと一緒に空港へ見送りに行った。おばあちゃんは、赤ちゃんの頃からずっと我が子のように育ててきた孫をアメリカに行かせたくなかったらしい。そりゃ寂しいよね...。でもジュスリンは、アメリカに行ける!飛行機に乗れる!とウキウキ気分で、空港でもいつものようにおばあちゃんにアイスを買ってくれとねだる始末。おばあちゃんの心、孫知らず…。もう飛行機の時間になっていよいよお別れというときに、もう一人の3才の孫が「おばあちゃんは一緒に来ないの?」と言い出して、来ないとわかると「おばあちゃーん!」と叫んで号泣し、泣きながら手荷物検査のほうへ入っていたときには、見送りに来ていた全員が涙。
その後、孫二人はオクラホマの田舎町で楽しく暮らして学校にも通っているけれど、マーシャルに帰りたいと言っているそうだ。アメリカに住んでるマーシャル人は、国の人口に対して結構多い。というもの、アメリカとマーシャルは1986年に二国間で結ばれた自由連合協定(コンパクト)により、マーシャルのパスポートを持っていればビザなしで、アメリカに暮せるし、働けるからだ。アメリカに住むマーシャル人は約22,000人。それに対し、マーシャル国内の人口は約60,000人。2015年に行われた国会議員選挙では、アメリカに住むマーシャル人の在外投票を認めたところ、アメリカからの票が大いに影響し、番狂わせが多く起こった。そのため、次の選挙からは在外投票は認めないという法律が作られた。
アメリカにはマーシャル人が集まって住んでいる街がいくつかあり、アーカンソー州のスプリングデール、ハワイ州ワシントン州のスポケーンカリフォルニア州のコスタメサ、グアム準州オクラホマ州ブロークンアローなどが代表的な場所。親戚が住んでいる場所に転がり込むように片道切符で行けば、とりあえず寝場所はあるし、子どもの学校も、マーシャルよりいい給料の仕事もある。多くのマーシャル人が暮らすアーカンソー州のスプリングデールには大規模な鶏肉工場があり、マーシャル人でも行けばすぐに、マーシャルの最低賃金の2.5倍で雇ってもらえるという。また仕事だけでなく、教育と医療もマーシャル人にとってアメリカ移住の目的となる項目だ。子どもの教育に関しては、アメリカへ行けば公立校へ無料で通えるので目的は果たせるが、医療となるとマーシャル人はビザなしで暮らせるけれどアメリカ国民ではないので、基本的には生活保障は受けられず、医療費も支払えないのであればアメリカの医療を受けることができない。これは州によって、医療のサポート事情は異なるようだ。また、英語が全く話せないと、車の免許を取ることも難しいし、車がなくて通勤できないと仕事を得るのも難しくなる。甘い考えで行くと厳しい現実に直面することになるのだろうが、アメリカでもマーシャル人の住む土地にはマーシャル人の教会があり、そのコミュニティでいろいろ情報を得たりサポートしてもらえるようだ。
マーシャル育ちのジュスリンがアメリカ生活を経験してまた帰ってきた時、どう成長しているのだろうか。今から会うのが楽しみだ。

↓見送りの人々で混み合う空港

カヌーハウスへ社会科見学

カヌーハウス

ハルカのクラスでは、社会の授業でマーシャル諸島について勉強している。先週はマーシャルの航海術がテーマ。担任の先生はアメリカ人で夏にマーシャルに来たばかりなので、マーシャル文化について詳しく知らない。そこで先生の要請に従って、主にPTAクラス役員の保護者が中心となり、マーシャル文化について教えたり社会科見学をアレンジして、クラスを手伝っている。今回は航海術がテーマなので、WAMカヌーハウスへ社会科見学に行った。子どもたちは学校からカヌーハウスまで車で移動する。車を出して同行できる保護者を募集していたので、私も一緒に行くことにした。

今回子どもたちに話をしてくれるのは、WAMカヌーハウス代表のオルソンさん。ここではマーシャルの伝統カヌーの作り方や航海術などを教える職業訓練を行っている。カヌー文化を若い世代に伝えるという役割だけでなく、学校を中退した若者たちが手に職を得て、社会で働いていけるように訓練をする目的もあるという。実際、学校中退した若者の中には、小学校中退や中学中退も珍しくないので、職業訓練の内容はカヌーのことだけでなく、基礎的な英語や数学も学ばせるそうだ。素晴らしい取り組みだと思う。太平洋諸島ではカヌー文化がそれぞれあるが、カヌーやカヌーハウスは男だけの場所、という国もある。その点、マーシャルではカヌーハウスも男女問わず出入りできるし、技術も学べるそうだ。

ディズニー映画「モアナ」に出てくる人物マウイのマーシャル版だと評判のオルソンさん。子どもたちのためにマーシャルの伝統的な衣装を着て、マーシャル語でお話をしてくれた。オルソンさんのもうひとつの顔は役者。マーシャルの映画にマーシャルの神様役で出演もしている。普段は気さくな笑顔で冗談好きな感じなのに、今回は真顔で迫力ある語りに、子どもたちはすっかり引き込まれていた。それも友人がカヌーハウスを訪れた途端に素のオルソンさんに戻ってしまい、そこから英語になったり冗談も出て、みんなを楽しませてくれた。「モアナに出てくる山は、コスラエ島のスリーピングレディがモデルだから、女の子を乗せてここからコスラエまでアウトリガーカヌーで行けば、映画とまさに同じだよ」とオルソンさん。リアルなモアナの世界がこんなに身近にあるとは!

マーシャルのカヌーには、近所で釣り用、ラグーン用、外海航海用と3種類の大きさがある。地図もGPSもない時代に、潮の流れと月や星の位置で方角を定め、700km離れた島まで航海できる大きいタイプでは、50人程乗れる大きさで移動していたそうだ。知らなかったマーシャル語も習った。航海中、男たちは一生懸命カヌーを漕ぎ、その横で女たちはチムチムするらしい。チムチムとはマーシャル語で応援、チアーリーディングのこと。女たちが踊りながらチムチムすることで男たちは頑張れるらしい。ただ、これは一般的にはほとんど知られていない単語で、消えゆく昔の航海用語、といったところのようだ。同行した私もいろいろ学べて満足な社会科見学だった。

↓カヌーハウスの目の前は海。

肌は何色?

雨の日の日曜日、家で子どもたちとお絵かきをした。大きな画用紙に、色鉛筆、クレヨン、水彩絵の具を準備して、本格的にお絵かきの時間を楽しんだ。小さい頃から絵を描くことが好きで上手だったハルカとは、よく一緒に絵の具を出して絵を描いたけれど、お絵かきに興味がないコウとは一緒にお絵かきをした回数が断然少ない。いい機会なのでクレヨンで描いた絵に、絵の具で色を塗る絵を一緒に描いてみた。コウは、校庭に自分と双子の友達がいる絵を描いた。じゃあ次は絵の具で色を塗ろうね、と言って顔に塗る色を絵の具箱から選ばせると、コウが選んだ色は「こげ茶」。ええー!これはちょっと色が濃いんじゃない〜と私がつい口を出すと、「茶色」にした。完全にマーシャル人の肌の色が基準になっている。
昔は「はだ色」という色がクレヨンにも絵の具にもあって、私が子供の頃に塗り絵で肌を塗るときにはこれ、と定番色だったが、今の子供たちの世代では「はだ色」は存在せず、「ペールオレンジ」もしくは「うすだいだい」という表記になっている。肌の色は人それぞれであるのに、ある一色を「はだ色」と決めつける表現はおかしい、ということなのだろう。コウは、肌の色と聞いてまず「こげ茶」を選んだ。子どもに付き合っていると面白い。大人の私からは出てこないような、無邪気で自由な発想をしてくるから。

↓肌は何色?

↓コウの腕を見ると、こげ茶でも正解という気がしてきた...

それぞれの新学期

ビーチで遊ぶ

日本で楽しい夏休みを終え、8月上旬から新学期が始まった。ハルカは5年生に、コウはプリキンダーに進級。こちらの学校では6年生からは中学生になるので、ハルカは今年が小学校最後の年になる。気がつけば、娘がマーシャルで小学校を修了することになるとは!ハルカの今年の担任の先生は、新しく来た南アフリカ育ちのアメリカ人女性。前任はサウジアラビアのインターナショナルスクールで10年教えていたそうで、パワフルで明るいベテラン先生。カリキュラムや指導方針も保護者にしっかり説明してくれるし、英作文に重点を置いた授業を毎日楽しくやっていて、今年はいい先生に恵まれて本当に良かったと思う。コウは昨年と同じフィジー人の先生。仲良しの双子の男の子も一緒で、新しく入った中国系の男の子1人も仲間に加わり、男子4人でいつも遊んでいる様子。1クラス28人ほどいる中で、男の子はこの4人だけ。すっかり強い女の子たちに支配されているクラスのようだ。
私は今年の2月頃から、ハルカの学校の中学生・高校生の日本語教育に携わるようになった。きっかけは、学校に日本語教師が不在になってしまったため、日本語授業が打ち切りとなり、それでも日本語の勉強を続けたいと言う生徒がいたので、放課後に日本語クラブを作って顧問をしたのが始まり。日本語教師の経験もないので大変だったけれども、助けてくれる人もたくさんいたおかげで、日本語クラブは充実した活動になった。5月には日本語クラブの生徒たちが、日本語スピーチコンテストに参加し、毎日スピーチの練習を指導して、この頃が一番多忙だった。ボランティアの域を超えた労働量だったけれど、それ以上に喜びや私が得られたものがあったので、とてもいい経験になった。おかげでブログ更新もすっかり滞っていました...。
新学期からは日本語教師の方が赴任されたので、日本語授業が再開された。日本語教師が不在の期間に日本語を次につなぐ、という私の役目は果たしたのだが、校長先生から引き続き日本語のサポートをしてほしいと言われたことと、私が少しでも役に立つのであればお手伝いしたいと思い、現在は週2〜3回日本語授業で先生のお手伝いをしている。日本語クラブを通して顔見知りの生徒もいて、彼らに日本語を楽しく学んでほしいし、少しでも伸ばしてあげたいなと思う。私もお役に立てるように日本語の勉強をしなくてはいけない。


↓マーシャルは、やっぱり海!