HERE COMES THE SUN

太平洋の南の島マーシャル諸島からの日記です

東北関東大震災

マジュロの海

3月11日に起こった東北関東大震災。マーシャルからもTVで毎日NHKの情報を追っている。被災された方々には心からお見舞い申し上げます。大地震津波原発事故と、次々に襲い掛かる災害の報道を見ていると、私の故郷の日本は一体どうなってしまうのかと、遠く離れた海外にいるのに本当に恐ろしい気持ちになった。震災から13日目の今日も福島では原発が依然として危険な状態にある。どうかこれ以上被害が広がらないように、そして被災された地域のこれからの復興を祈るばかり。

地震の当日はマーシャルにも津波警報が出て、大使館から初めて自宅に電話連絡を受けたりと、海抜1m以下のこの島に住んでいて初めて怖いと感じた。最悪の場合は家の浸水ぐらいあるかもしれないと覚悟して、家の屋根に上れるようにハシゴをかけたり、パスポートと食料が入った非常持ち出し袋を用意した。津波到達時刻が幸いにも干潮だったのでマジュロに被害は全くなかったが、ウリガ港ではその頃急に海面が60センチ程上昇し、20分後には急激に引いたそうだ。マジュロは島でなく環礁だからか波が押し寄せるタイプの津波ではなかったが、津波自体は来たということなので、これが満潮時刻だったらマジュロでも浸水被害を受けていたかもしれない。

今回の震災はマーシャルでも大きなニュースとなり、知り合いに会うたびに「家族は大丈夫か?」と声をかけられた。ハルカの幼稚園ではマーシャル人先生のMs.モリーナが会うなり駆け寄ってきて「ハルカの家族は大丈夫?ニュースを聞いてから心配で心配で…。家族が日本に暮らしているって聞いてたから…」と涙目で言ってきた。普段はどちらかというと無愛想な人なので、こんな表情を見たのは初めて。そこまで心配してくれているんだ・・・と、なんだか有難く温かい気持ちになれた。苦しみを共有するということは、こういうことなのかもしれないとマーシャル人から教えてもらった。

被災者のために復興のために、何か力になれることがあれば協力したいと思っている。現実的にいまは義援金を送るぐらいしかできないが、今のこの気持ちを忘れずに持ち続け、数年後に日本へ帰国したときに、一番大変な時期に何もできなかった分、私が役に立てることを見つけようと思う。3年後、5年後にも助けを必要としている人はいるはずだ。明日はマーシャルのNGO団体が主催で、"Freiends of Japan"という震災のチャリティーコンサートがRREステージで行われる。多くの日本人は知らないであろうマーシャル諸島共和国という小さな国でも、マーシャル人は日本の被災者のことを助けたいと思っているのだ。